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8月12日。夏。

こんにちは。管理人のねねパパです。

既に8月11日夜のニュースでも流れていますが、日航123便の事故から今日で21年です。だから?なに?そういえば、とか。ヒコーキに興味を持つまでは、そのように感じていたかもしれません。昨年は20年目と言うことで特別番組も沢山編成されてましたね。

ここ数年、事故に関する文書や書物・事故に関連するフィクションなど色々読んできましたが読めば読むほど考えさせられる事が沢山あります。事故の性質上、この場でなにかワタシの意見等を述べるつもりはありません。ですがひとつ言えるとすれば「自分は知らな過ぎた」という事実です。

IMGP3437.jpg

(※他に「墜落遺体」「沈まぬ太陽全巻」など、あったりします。)

1985年当時の私は小学校5年生。小学生の私は毎年父の実家である九州へヒコーキで行き、ほぼ一ヶ月滞在して帰ってくるという夏のイベントを楽しんでいました。父の実家は九州ではちょっと有名な温泉街。昔は今よりもっともっと活気があり、花火大会とか土曜夜市とか、週末のたびに催しがあったものです。

21年前の1985年8月12日(月)夜の記憶。

暑い日でした。近くのホテルが開催する花火大会を従兄弟や叔母と一緒に楽しんだ後の帰り道、どうしても欲しい漫画があったのでお小遣いを出店で使わず帰り道までとって置き、ひとり皆と離れて本屋さんでお目当ての本を物色。確か時間は19:30くらいだったはず。本屋さんの時計を見た記憶があります。何気なく耳に入ってくるラジオのニュース。男性アナウンサーの声。ふとしたきっかけでちょっとよく聴いてみると、しきりに同じ内容をラジオは繰り返していました。

「ジャンボが・・・、レーダーから消えた・・・。」

確実に覚えているフレーズはこの二つ。はっきり言って当時11歳のワタシには事の重大さがあまり良く判っていませんでした。でも子供心にとても恐ろしいことが起きていると感じるのに時間はかかりませんでした。ラジオのアナウンアーの緊迫した声。帰宅後に見たニュースの速報。報道の特番。故に、ここまではっきりと当時の記憶が蘇ります。

翌日。テレビで流れた墜落現場の映像。ヒコーキは墜落してもヒコーキの形を少しは残しているものだとばかり思っていました。でも墜落現場の映像にはヒコーキなんて跡形も無い焼け野原という印象。それ以上、なにも浮かんで来ませんでした・・・。

父の実家九州からの帰路、当然ヒコーキに乗らなくてはならないため、物凄く恐ろしい思いで帰路のヒコーキに登場した記憶があります。(※確かJASだったような・・・。)

慰霊登山をしたわけではありません。
なにか、活動をしたわけでもありません。
ましてや、事故の関係者でもありません。

でもヒコーキを好きになってしまった以上「事実として発生した事故」として、私は知らないフリを私自身に出来ないと勝手に思っています。


犠牲となった520名の方々のご冥福を心からお祈り致します。
遺族の方々が今からでも、少しでも元気になれるようお祈り致します。


From ねねパパ@管理人

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  1. 2006/08/12(土) 01:07:20|
  2. ヒコーキとワタシ

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